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以前にWillam Duntonの話をあげましたが、どうやら違ったようです。

Willam Duntonはすべての人間は身体的、精神的作業をするということを示した人であり、やはり3領域を説明した人ではないようですね。
作業とは食べ物や飲み物と同様に人生に必要である。
すべての人間は、身体的および精神的作業をしなければならない。
すべての人が、楽しみや趣味といった作業をすべきである。
病んだ心、病んだ身体、病んだ魂は、作業を通して癒される。今日はスピリチュアリティについて書きたいと思います。

以前のCMOPからありましたが、CMOPの中心にあります。
スピリチュアリティは人間にならしめる本質である(P95)。
私は昔から、魂みたいなもの、その人らしさ、ICFでいう個人因子がニアイコール。
なんて言っていました。いずれにせよ、クライエントの価値やオリジナリティみたいなものであろうし、MOHOでいう意志のサブシステムみたいなものなんでしょう。
言葉というものは時にものを見えにくくします。「作業的公正(Occupational Justice)」や個人的原因帰属とかもそうなんだと思います。
そんな時は自分の言葉に訳してしまえ!と思います。そのほうが理解は進む。
たとえば私は
Occupational Justiceは社会的な公平感とか平等みたいな感じかな~
個人的原因帰属はその人の有能感みたいなものかな~
ぐらいの気持ちでとらえています。

スピリチュアリティに話を戻しますが。。。
スピリチュアリティの定義はないとのことです(P96)
それぞれが自分流に定義できるそれがスピリチュアリティだということです。
皆さんも自分流にスピリチュアリティを定義したらいかがでしょうか?
言えることは、それはその人の意味のある作業に多大に影響するものだということです。
明日は朝早くから病院でTherapeutic activityについて講義と実技をします。また機会があればこの場でも。
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